「日々、仕事にまい進していると、将来のことを不安に感じるときがあるんですよ。
どうすればいいでしょうか。」
45歳を過ぎると、漠然とした不安にとらわれることがあります。年齢的にそういうものだと割り切ることもできますが、なんとか対処したいと思うものです。
この「漠然とした不安」が「やりたいことが見えない」という悩みにつながることが多いので、適切に対応することが必要です。
しかし、捉え方によっては、この悩みは贅沢な悩みとも言えます。
私の身近な存在の方で、若くして命を亡くした方がいました。まだ16歳。青春真っ只中だったにもかかわらず、亡くなってしまわれたのです。
「今日で5日間、何も食べれていない・・・。」
「なんとなく、元気がでない・・・。」
「冷たい水をラーメン屋さんでゴクゴク飲みたい・・・。」
残された命を精一杯に生きたい。
でもそれが叶わない。
16歳の子が残したメッセージを前にすると、「やりたいことが見えない」という悩みは、ある意味、小さなことのように感じてしまいます。
もちろん、その悩みの渦中にある方にとっては、小さなこととは捉えられないことでしょう。
キャリアの悩みは、自分の気持ち次第と言ってしまえば、元も子もありませんが、やりたいことを残して亡くなった方のことを思うと、
「やりたいことを見つけよう」という気持ちを、小さくとも自分の心の中に持つことがとても大切なことだと痛感するのです。
45歳を人生の折り返し地点と捉えると、自分の命を、自律的に意味づけするためのラストチャンスです。
人生の最期に「どのようになっていたいか」という自分のあり方から逆算して、自分が今できることを見つけようとする気持ちを持つことが、キャリアを見つめ直すための基本的な要件なのだと再認識しました。
自分のたった一度の人生を、楽しく、そして、有意義にするために、今自分にできることは何であるのか。
このことを、機会あるときに、思い返すことが大切なのだと、しみじみ思います。