近年、働き方改革が叫ばれ、長時間労働の是正や年次有給休暇取得の促進といった働く職場環境の改善が進みつつあります。
20年前の人事労務管理上においても、このことは課題になっていましたが、どちらかというと必要悪のように捉えられていたと感じています。
その証拠に、バブル世代の同期との会話の中で、30代だった頃の「がむしゃらに長時間労働する」ことで仕事を身体で覚えたことによる成功体験がまことしやかに美談として取り上げられていたりします。
たしかに、一つの仕事を覚えるには一定の量的な負荷を乗り越えていく必要があります。量的な負荷を乗り越えた先に質的な負荷を解決できる力量が身につくことは否定できません。
たとえば、自転車を乗りこなすためには乗りこなすための一定量の練習時間が必要になります。「乗りたい!」と念じているだけでは自転車に乗ることはできないからです。
乗れるようになったら、少し変則的な乗り方もできるようになります。スピードを出したり、立ちこぎしたり、自転車を操ることができるになります。
量的な負荷と質的な負荷が掛け合わさることで、取り扱える領域が広がるのです。
長時間労働を肯定しているわけではありません。労働生産性の観点から長時間労働は、その効率を低下させる要因になるため、是正が必要であることは明白です。
労働基準法で明確に定められているとおり、労働時間に比例して成果が確実に上がる仕事には対価をもって報いる必要があります。
問題は、定量的に出来高が決まらない仕事に従事している場合の労働時間の考え方です。
必ずしも労働時間に比例して成果が上がるわけではないのですが、この部分についても、労働基準法の定めのとおり、労働時間に応じた対価の支払いが必要となります。
これをプロスポーツの選手だったら、という視点でみると滑稽に見えてきます。
たとえば、プロ野球の選手。
ヒットやホームランを打っていない選手が「一定時間試合に出ていたから、それに相応する報酬が欲しい。」と主張したりしたら、少し奇妙に感じませんか?
もちろん、サラリーマン社会とプロ野球選手を単純に比較できません。
しかし、仕事の成果によって処遇されているプロフェッショナルという点では同じとみなすことができます。
プロフェッショナルとして、仕事は成果によって評価されるという意識が備わっている人。
こういう人は、40歳を過ぎても「職場における存在価値」が高まります。
40歳を過ぎると安定志向になりがちの人が増えてきます。冒険することなく無難に仕事をこなすことに意識をもっていってしまうのです。
こうなると、職場では「単なるお荷物」になってしまいます。職場において必要でない存在、放出要員になってしまいます。
サラリーマンである限り、定年が定まっていることが一般的です。
定年は、就業規則に定められた年齢に達すると仕事から自動的に外れる仕組みです。
終身雇用として長期に雇用は保障されていますが、サラリーマンは皆職業人としての有期雇用契約なのです。
限られた期限の中でどれだけ「自分らしく」働くことができたかがサラリーマンとして過ごした時間の価値を左右します。
つまり、どれだけ「自分の存在価値」を確かめながら、働けたかということです。
「自分の存在価値」が確かめられれば、自分が貢献すべきことが自分としてわかるようになり、自分で「問い」を立てて仕事を進めることができるようになります。
自ら考えて動けるようになると、仕事が楽しくなり、自然に業績も上がってくるものです。
40歳を過ぎて「自分の存在価値」を意識して仕事をしている人は、仮にしかるべきポストに就いていなくとも、会社や職場に必要な人材として評価されます。そういう意識をもって働いている人は数少ないからです。
ですから、このことを意識して、実践できれば自分の活かし場を見出すことができます。
40歳を過ぎて自分の活かし場を見い出せれば、いままで培ってきた経験、能力、スキルを存分に発揮できるようになります。結果として成果も上がってくるのです。
自分に備わっているチカラを、つぎの4つの視点で分類し、自分の言葉で他者に伝えることができれば、「自分の存在価値」は見つかります。
- 基礎力
- 専門力
- 再現力
- 人間力
40歳を過ぎていたとしても、遅くはありません。
この4つの視点で整理することで、年齢にかかわらず、自分ならではの「売り」さえ見つかれば、「自分の存在価値」を見つけることができます。
40歳を過ぎても、あきらめることはないのです。