2019年も残り1ケ月半でその半分が過ぎようとしています。
夏休みのこの時期には、すこしだけ休息の時間がとれている方も多いのではないでしょうか。
意識的にじぶんのアタマを休めるためにも、休息は大切なことだと思います。
つかのまでもいいので、なにもせず、ぼーっと過ごしてみることに、あえて挑戦してみてもいいのではないか?と。
ぼーっと過ごしているときだからこそ、ふと思いつくことが往々にしてあります。いままで、考えていたことや悩んでいたことへの解決策が、ふとした瞬間に鮮明にアタマのなかに浮かんできたりします。
ぼーっと過ごしてみることをおススメしていていながら、こんなことを言うのもなんですが、そのふとした瞬間に浮かんできたことを逃さないための対処法をお伝えしたいと思います。
それが思わぬ効果をもたらすことがあるからです。
ぼーっと過ごすことの意味
私たちは、普段、緊張の連続を強いられていると感じています。仕事や家庭、じぶんのキャリア等々、今を充実させるとともに、未来についても充実させたいという思いを少なからず持ち合わせて生活しているからです。
それゆえに、その緊張を意図的に緩めないと、思考するチカラが弱まってきてしまうと思うのです。
ぼーっと過ごすことは、緊張を緩めて、安堵できる状態を意識的につくるという効果があると思うのです。
ダラダラ過ごすことも、実は意味があると思うのです。
ふと、思いついたこととは?
気持ちが安堵できると、アタマの中に余白ができます。余白ができると、アタマのなかのストレージに余裕ができるので、いろいろなことを思いついたりするのだと思うのです。
そのことは、じぶんの深層心理が感じていることだったりします。
とくに、キャリアの分岐点にいるときは、アタマの中の余白を創り出す工夫がとても大切だと思います。
「じぶんは、これからどうしようか?」
「転職しようか、今の会社にとどまろうか?どっちが最良の選択だろうか?」
キャリアの分岐点における選択は、それが人生において重要な意味を占めるという点で、相当の緊張を強いられるものです。
緊張すると、アタマで考えて答えを出そうとしてしまいます。理屈で考えて結論を導き出そうとするのです。
その答えが、ココロで感じていることとイコールであれば、問題ありません。ココロがモヤモヤしないからです。
しかし、モヤモヤするときが往々にしてあります。アタマとココロ、それぞれが出した答えが違っているのです。
それゆえに、アタマの中に余白ができたときの、「ふと、思いついたこと」を、フローな情報として流してしまうのはもったいないのです。
紙に、手書きメモをのこす
「ふと、思いついたこと」をフローな情報として流してしまわないための方法は、とてもベタな方法です。
紙に、手書きメモをのこす。
これだけです。
ボーっと過ごしているので、ノートやメモ帳がないこともあろうかと思います。
それゆえに、手元近くにある紙、どんな紙でも構わないので、「ふと、思いついたこと」を手書きメモでのこしておくのです。
まとめ(手書きの意味)
メモは、デジタル媒体ではなく、手書きであることに意味があると、考えます。
それは、手書きでのこした文字に、そのときの思いが残るからです。
筆圧、文字の大きさ、文字の輪郭、等々、じぶんの言葉の迫力が伝わるのです。
ボーっと過ごすことで、アタマの中に余白ができ、じぶんの深層心理に隠れている感情の言葉が表出する。
それを手書きメモに残す。
このことで、じぶんが考えていたり、悩んでいたりすることへの答えをつかみやすくなると、私は考えます。
夏休み、一息入れているときのヒントになれば、幸いです。
本日も、お読みいただきありがとうございました。
(追伸)
・手書きメモですが、あとで読みとれるような文字で書いておくように。
・読めないことが結構あるので要注意です。