最近思うことがあります。
「じぶんのやりたいことを見つけたい」と願っている人のうち、「いつか見つかるかもしれない」という淡い期待を持ちつづけてしまう人が数多くいるということです。
「いつか見つかるかもしれない」という淡い期待を持つことを否定しているのではありません。それが、居心地のよいものである可能性があるからです。
しかし、キャリアの分岐点にいる人が「いつか見つかるかもしれない」という淡い期待を持ちつづけることを、私はおススメしていません。
決断を先延ばしにする
「何もしていなくても、偶然、じぶんに適した何かが起きて、じぶんが探し求めていることを見つけられる」ということは起こりうることです。
しかし、その確率は低いと考えます。
むしろ、「いろいろなことを試しているなかで、偶然、じぶんに適した何かが起きて、じぶんが探し求めていることを見つけられる」ということが私の持論だからです。
「いつか見つかるかもしれない」とは、見つけるための行動が伴わないことが多いと感じています。
そして、それを正当化するために、決断に必要な準備が整っていないと言い訳にもつながりやすくなります。
さらに、「じぶんのやりたいことを見つける」ための行動が伴わず、その前提となる条件を整えることに躍起になってしまうことが往々にしておこります。
キャリアの分岐点において、このような状態が続くことは好ましくありません。決断を先延ばししてしまうことにつながるからです。
「〇〇が整うまでは・・・」
「私は、〇〇ということをやりたいけれども、そういう環境はなかなかないし・・・」
このようなサイクルに陥ってしまった人が、状況を打開するには、相当の時間を要してしまいます。厳しい言い方をすると、適切なキャリアの選択ができなくなってしまいます。
一番必要な行動を知ろうとしない
「じぶんのやりたいことを見つけたい」というからには、それにつながる可能性があることを、どんどん試して、健全な失敗を積み重ねることが重要であると、私は考えます。
「いつか見つかるかもしれない」という人は、それに辿り着くために必要となる行動に目を向けない傾向があります。「知ろうとしない」という感じがするのです。
たとえば、転職しようと考えている場合。
「いつか、じぶんに適した会社(仕事)が見つかるかもしれない」という人は、転職のための行動を取ろうとしません。
会社説明会にいく
転職フェアにいく
転職を支援してくれる人に会いに行く
このような、すぐにでもできることに着手しないことが多いのです。
まとめ
「じぶんのやりたいことを見つけたい」という場合に必要なことはつぎの4点であると、私は考えます。
-
じぶんにかかわる情報を洗い出し、じぶんの言葉で意味づけする
-
じぶんにとってインパクトのあった出来事と現在をつなげて考える
-
じぶんのチカラを、じぶんの言葉で言語化する
-
期日を決めて悩む。考えるだけでは状況が変わらないことを肝に銘ずる
「じぶんのやりたいことを見つけたいが、いつか見つかるかもしれない」という場合、「4.期日を決めて悩む。考えるだけでは状況が変わらないことを肝に銘ずる」という意識が欠けていることが往々にしてあります。
このことが、行動力を減退させ、結果として、状況が変わらないことにつながってしまうのです。
もし、「じぶんのやりたいことを見つけたいが、いつか見つかるかもしれない」という考えを持っているならば、まずは、「いつまで悩むか」期日を決めることです。
そして、その期日までに見つからなければ、とりあえず、じぶんができることに全力を注ぐことです。
そのことが、主体的かつ自律的にじぶんのキャリアを築いていくことにつながると、私は考えるからです。
本日も、お読みいただきありがとうございました。