今朝、千駄ヶ谷で、私のメンターと話をしてきました。
しばらくぶりに会って話をしたのですが、お互いをよく知っているので、時間の空白を埋めることはさほど難しいことではありませんでした。久しぶりのメンターとの対話は、とても充実したものでした。
メンターとの会話で面白い話を聞きました。
メンターはこう話してくれました。
「アメリカのどこの大学だか、ど忘れしたけど、92%の人は目標達成できない、って知ってるかい?」
「せっかく立てた目標だけど、多くの人が、それを途中であきらめてしまうのは、なんだか時間がもったいないように思えるよね。」
私も確かにそうだな、と思いました。
実際、「今年こそは、〇〇するぞ!」と目標(誓い)を立てても、数日すると、その目標(誓い)がぼんやりしてきます。
そして、気づいたときには、その目標(誓い)は忘却の彼方状態になっている。
こういう経験を、誰しもしたことがあると、私は思ったからです。
コンフォートゾーンの魔力
メンターとの対話で気づいたことがあります。
それは、じぶんの身の回りの環境や習慣化している状態は、無意識にそれを当たり前に感じてしまい、変化することを遠ざけているのではないか、ということです。
そうだとすると、目標(誓い)に対する自分の向き合い方が緩ければ、変化することを遠ざける引力が強力にはたらいて、現状を維持しようとすることもうなずけます。
目標(誓い)を遠ざけてしまうということです。
自分の身の回りの環境や習慣化している当たり前のコンフォートゾーンは自分にとって居心地の良い場所です。
しかし、見方を変えると、変化を遠ざける要因にもなり、長いスパンで捉えるとそれがコンフォートゾーン(居心地の良い場所)にはならない可能性があります。
変化するタイミングを逃し、結果的に「変われない」ことにつながるからです。
目標(誓い)をたてるならば、「やりたいこと」で
コンフォートゾーンを抜け出すことは、自分に変化をもたらすことになりますが、それは負荷がかかることでもあります。
それゆえ、コンフォートゾーンを抜け出すには、ひと工夫必要になるのです。
そのひと工夫は、「やりたいこと」を目標(誓い)とすることです。
思い返せば、数年前に私がダイエットを目標(誓い)にしたとき、誰かに言われて「やせなければいけない」ではなく、純粋に「やせたい!」と誓ったからでした。
つまり、「〇〇ねばならない」ではなく、「〇〇したい」という視点が、目標(誓い)を実現するための条件だということです。
メンターとの対話をきっかけにして、あらためて「〇〇したい」という思いをもつことの大切さを認識しました。
メンターのアドバイスを共有します。
「〇〇したい」という思いをもつことは大切ですが、仕事においては、すべてが「〇〇したい」ということばかりではありません。
ここが難しいところだと思い、メンターに問いかけてみました。
「理想はそうだけれども、すべて「〇〇したい」でおさめきれるものではないでしょ。」
メンターのアドバイスはこうです。
「たしかにその通り。だから、一つでもいいから、「〇〇したい」という目標(誓い)を立ててみるといいかもね。」
「「〇〇したい」を一つにしぼり、それに集中して、具体的に「どうやっていきたいか」を掘り下げていくといいんだよ。」
「たとえば、①今日はなにをする、②今週はなにをする、③今月はなにをする、という指標をもとに、具体的な行動を計画してみるんだよね。」
「「〇〇したい」ことだから、きっと計画立てる時も楽しいはずなんだよ。その楽しさがキモだね。楽しいという感覚をアタマとカラダが覚えたら、一つにしぼった「〇〇したい」が達成できるでしょ。」
「それができたら、他のこともやれるようになると思うよ。」
まとめ
あたりまえのことですが、変化するためには、行動することが大切になると再認識しました。
それは、変化になれるために、まずは自分が自動的に動きやすいこと、「〇〇したい」に集中してみると効果的だということです。
「〇〇ねばならない」は行動をストップさせる要素を伴うものです。
自分の日々の行動において、少しでも「〇〇したい」ということを意識してみようと思いました。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
(追伸)
メンターのアドバイスで、もう一つシェアしたいことがあります。
目標設定では定量的に数値目標を入れるように、とよく言われます。
しかし、脳は数字を嫌がるものだということです。
単に数値目標だけをゴールセットすると、「〇〇ねばならない」に近くなる。
それゆえ、数値目標を達成するプロセス・手段を合わせて持ち合わせると効果的である。
目標を立てるときのご参考になれば幸いです。