過去の出来事に囚われすぎている人と話をしました。
その人は、5年も前に自分が会社から受けた処遇について忘れられずにいます。
彼はこのように言いました。
「あのときに、屈辱的な仕打ちを受けたことを忘れることができない。」
「でも、会社に入った時の思いがあるから、働き続けたい。」
私は、つぎのように問い返しました。
「たしかに、その気持ちはわかるけれども、そんな思いで働き続けたいのかい?」
彼は、こう答えました。
「そりゃそうですよ。自分の思いを実現したいですから。」
「でも、自分の思い通りの仕事ができないのは、5年前の処遇があるからですよ。」
「なぜ、あのときにあのような仕打ちを受けないといけなかったのか・・・。」
このやりとりを通して感じたことを書いてみたいと思います。
過去に囚われすぎないほうがよい
過去を振り返るとき、それがポジティブに意味づけられないと、ただ「辛く、悔しい」といった「不」の出来事になってしまうと再認識しました。
私は、過去を振り返ることはじぶんの経験価値をじぶんの言葉で語るために必須であると考えます。と言うか、そう信じています。
彼との話の中で、「過去」の出来事を、「現在」と結び付け、「将来」の自分に活用することに意味があるのではないか?と問いかけましたが、響きませんでした。
ある意味、彼にとって、拭い去ることのできない「過去」だったということは受けとめましたが、とても残念な思いでした。
過去の囚われがもたらすものとは?
彼に、問いかけました。
「そのときの出来事を思い出すことで、どんなことが起こるかな?」
「そのことで、ポジティブな気持ちになれるかな?」
彼は、無言でした。
「・・・・・・・・・・・。」
しばらくして、しぼりだすように。
「それができれば、苦しくないですよ。」
私は、思いました。「過去」に囚われすぎると、苦しい思いをしてしまうのだと。
当たり前のことのように感じますが、「過去」が与えるインパクトが大きければ大きいほど、それを自分の内心が消化しきれないものです。
過去の囚われがもたらすものは、その囚われ方が「不」であるかぎり、自分を前向きに動かしていく動力にはならないのです。
まとめ
私は、「過去」を振り返ることの意義深さを信じていますが、自分の心が健全であることが大切な要素であると確信しました。
「過去」の囚われが「不」を生み出す状態ならば、それが解消しなければ「過去」の振り返りが意義深いものにはならないのです。
「不」を生み出す状態を解消するには、「不」にどっぷりとつかって、そこから脱出したい!という思いを抱かくことが必要だと考えます。そうなると毎日を充実させたいという思いに至ることができるでしょう。そこから、自分の心が健全になりはじめると思うのです。
キャリアの転換期は、自分の心が健全である必要があります。「過去」の囚われが「不」を生み出してしまい、ポジティブな影響を与えないからです。
「過去」は「現在」を形づくった価値ある出来事のつながりで、「将来」につながる原石である。
自分の「過去」を大切にあつかい、自分のために役立てよう、という思いになると、「過去」の持つ意味がとても深いものであることを実感できるでしょう。
そのときこそ、「過去」を活かして自分を見つめ直す絶好のタイミングだと、私は考えます。